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秘密を預かる距離

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御堂は、必要以上に踏み込まない男だった。翌朝、蓮が呼び出された事務所でも、彼は机の上の資料を閉じ、最初の一言だけを残した。 「ここから先は、お前たちで決めろ」 それだけで十分だと言うように、御堂は沙羅の家に関わる流れの要点だけを簡潔に示した。表向きは支援、裏では選択肢を削るための囲い込み。蓮も沙羅も、その意味をもう理解していた。だからこそ、御堂の説明は長くは続かなかった。 二人はその足で、いつもの喫茶店へ向かった。雨上がりの窓には街の灯りが薄くにじみ、カップから立つ湯気が静かに揺れる。沙羅はしばらく黙っていたが、やがて指先でカップの縁をなぞりながら口を開いた。 「私、もう逃げるだけではいたくないの」 その声は、これまででいちばん静かで、いちばんはっきりしていた。 「家の期待に従うふりをして、自分の望みを後回しにするのは、もうやめたい。怖いけれど、怖いままでも選びたい」 蓮は、ただ頷いた。彼女の言葉が、これまで隠されてきた秘密の向こう側へ届いた気がした。 「俺も、同じです。人に合わせるだけで済ませるのをやめます。沙羅さんのことを守るだけじゃなくて、一緒に考えたい」 沙羅は驚いたように目を上げ、それから少し笑った。けれどその笑みは、以前のように取り繕ったものではなかった。 「じゃあ、私たちはもう、ただ秘密を共有しているだけじゃないわね」 「ええ」 「隠し事を打ち明けたから近いんじゃなくて、打ち明けてもまだ一緒にいたいと思った。そういうことよね」 蓮はその言葉に、胸の奥が静かにほどけるのを感じた。関係は、秘密の保管から始まった。だが今はもう、その役目だけでは収まらない。互いの弱さも、過去も、臆病さも、知ったうえで選び合う段階に入っていた。 沙羅は視線を落とし、少しだけ息を整える。 「私、あなたにだけは、ちゃんと見ていてほしい」 「見ています」 即答した蓮に、沙羅は今度こそ何も言わなかった。ただ、カップを両手で包んだまま、ほんの少しだけ肩の力を抜く。その仕草は、誰にも見せたことのない安心の形だった。 御堂は店を出るとき、振り返りもしなかった。だが、扉の向こうに残されたものは確かにあった。押しつけられる未来ではなく、自分たちで選ぶための静かな余白だった。 外では雨の名残がアスファルトに光っている。沙羅は窓の外を見つめ、やがて蓮の方へ小さくうなずいた。もう秘密のためだけに寄り添うのではない。これから先をどう生きるか、その答えを二人で探していく。そう決めた瞬間、彼女の横顔は、誰の期待にも縛られないほど柔らかく見えた。