沙羅は最初、蓮を測るように見ていた。目の前の男が、親切を見返りに変える種類ではないか、確かめるために。だが蓮は、必要なことを淡々と済ませるだけで、詮索も恩着せがましさも持ち込まなかった。端末の不具合を直したあとも、わざわざ事情を尋ねず、ただ「次は同じ症状なら、先に電源周りを見ます」とだけ言う。その距離感が、かえって沙羅にはありがたかった。 「あなた、変わっているのね」 ある午後、空になった会議室で沙羅が言った。ガラス窓の外では、庭木の影が長く伸びている。 「よく言われます」 「普通は、私みたいなのを見たら、何かを期待するものよ。紹介してほしいとか、立場を利用したいとか」 蓮は少しだけ考えてから、椅子の背に手を置いた。 「そういう人もいるでしょう。でも、俺は困っている人を見たら、放っておけないだけです」 その返答に、沙羅は目を伏せた。安心したようでもあり、同時に少し寂しそうでもあった。利用されないことに慣れていない者の顔だった。 それ以来、二人は仕事の話だけでなく、生活の端々を少しずつ交換するようになった。沙羅は、朝食がいつも同じ高価な料理で飽きていることを漏らし、蓮は、夜遅くまで残るとコンビニの温かいおにぎりに救われると話した。沙羅はそれを意外そうに聞き、蓮は彼女が外の景色を覚えているふりをしながら、実際には窓越しに人の流れを眺めているのに気づいた。 「自由って、好きな場所へ行けることだと思っていたけれど」 沙羅はカップの縁を指でなぞりながら、静かに言った。 「実際は、行き先を決める前に、誰の顔色を見ないかを考えることなのかもしれないわね」 蓮は、その言葉にすぐ返せなかった。彼もまた、会社では役割を果たしているのに、肝心な場面で自分の意志を押し込めてばかりいた。人に合わせることが癖になり、気づけば自分の輪郭が曖昧になる。沙羅の窮屈さは、思っていたよりずっと自分に近かった。 沙羅は蓮を警戒していたはずなのに、いつの間にか、その観察は相手を試すものから、相手の息遣いを知るものへ変わっていた。蓮もまた、彼女の上品な言葉の奥にある疲れを、ただの弱さとして見なくなっていた。 ある日の別れ際、沙羅はほんの少しだけ首を傾けた。 「あなたには、私を助ける理由がないのにね」 「理由は、後からついてくることもあります」 それを聞いた沙羅は、初めて警戒のない笑みを見せた。彼女が本当に笑ったのを見たのは、そのときが最初だった。
秘密を預かる距離
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