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秘密を預かる距離

小説ID: cmo5wscpx000d01s2xxfy30fc

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沙羅はその日、いつもより遅い時間まで施設に残っていた。会議室の窓は薄く曇り、外の街灯がにじんで見える。机の上には、家から届いたという封筒が置かれていた。差出人を見ただけで、彼女の肩がわずかに強張る。 「また予定を変えろ、だそうです」 絞り出すような声だった。内容を聞かなくても、蓮にはだいたい察しがついた。週末の外出は中止、来客は断ること、連絡は家を通すこと。そういう類の命令だろう。沙羅は封を切ることもせず、指先で封筒の角を押さえていた。 「従うんですか」 蓮が尋ねると、沙羅は苦く笑った。 「従うしかないでしょう。私は、そういうふうに育てられたから」 言い切ったあとで、自分の言葉に傷ついたように視線を落とす。蓮はすぐに慰めの言葉を探したが、見つからなかった。代わりに、彼女の前の端末画面を見た。古い閲覧ソフトのまま放置され、操作の痕跡もぎこちない。家に管理されている生活の縮図みたいだった。 「じゃあ、せめて選べる形を増やしましょう」 蓮はそう言って、端末の設定を静かに整え始めた。通知の整理、不要な共有の停止、外部からの干渉を減らすための最小限の変更。大げさなことはしない。ただ、沙羅が自分の手で開けられる扉を少し増やす。 「こんなことまでできるのね」 「仕事ですから」 「嘘。仕事以上に、考えているでしょう」 その指摘に、蓮は返事をしなかった。沙羅は小さく息を吐き、封筒を端へ寄せた。 「外に出たいの。誰かに決められた予定じゃなくて、自分で選んだ時間を過ごしたい。けれど、そんなことを口にすると、わがままだと言われる」 彼女の声は静かだったが、初めて聞くほどまっすぐだった。蓮は、その言葉に目を逸らさなかった。 「わがままじゃないです。選びたいものがあるだけです」 沙羅は驚いたように蓮を見た。誰かに肯定されたことそのものが、まだ慣れないらしい。しばらくして、彼女はふっと表情を緩めた。 「あなたは、近づきすぎないのに、放ってもおかないのね」 「そのほうが、たぶん長く続くので」 蓮の答えに、沙羅は今度こそ心から笑った。大きな声ではない。ただ、重たく閉じていた胸の内側に、初めて風が通るような笑みだった。 帰り際、沙羅は封筒を手に取ったまま、玄関の前で立ち止まった。 「ねえ、蓮。もし私が、自分で決めたことを始めたら、見ていてくれる?」 「ええ」 即答だった。 その返事に、沙羅は少しだけ目を丸くし、それから何も言わずにうなずいた。二人の間にあった秘密は、まだ終わっていない。それでも、もう隠すためだけのものではなくなっていた。封筒を握る彼女の横顔には、外の世界へ踏み出す前触れのような静かな熱が宿っていた。