沙羅は公園のベンチで、しばらく夜風を見つめていた。街灯の下、白い手袋の指先だけがかすかに震えている。蓮は何も急かさず、隣で黙っていた。やがて彼女は、小さく息を吸う。 「私、平気なふりをするのが上手になりすぎたわ」 その声は、いつもの端正さを保ちながらも、薄くひび割れていた。蓮は返事を急がない。急げば、彼女がようやく開けた扉をまた閉じてしまう気がした。 「本当は、ずっと怖かったの。家の期待に応えるのも、外の世界に近づくのも。どちらを選んでも、私が私でいられなくなる気がして」 沙羅は膝の上で手を握りしめた。蓮はそこで初めて、彼女が見せてきた強さが、強さだけで成り立っていなかったことを知る。恐れを隠し、顔色を読み、壊れないように立つ。それは気高さではなく、生き延びるための技だった。 「俺も、似たところがあります」 蓮が言うと、沙羅は目を上げた。 「会社に入ったばかりの頃、分からないことを聞けばいいのに、聞けなかった。邪魔になるのが怖かったんです。学生のころからそうでした。ある時、意見を言ったせいで、場の空気を壊したと言われたことがあって、それから人の輪に入るのが苦手になりました」 自分の口から流れ出た言葉に、蓮自身が少し驚いていた。けれど止まらなかった。 「だから、何かを背負っている人を見ると、放っておけないんです。助けるふりをしているんじゃなくて、たぶん、自分が見捨てられたくないだけかもしれない」 沙羅は黙って聞いていた。やがて、少しだけ表情をゆるめる。 「そんなふうに見えないわ」 「見えないようにしてきただけです」 二人は、短く笑った。重たく張り詰めていた空気が、細い糸のようにほどけていく。けれど、笑い合ったあとに残る現実の輪郭は、むしろ鮮明になった。沙羅の家はまだ彼女を手放していない。御堂が掴んだ糸も、どこまで正面から切り込めるか分からない。蓮自身も、過去の傷を完全に乗り越えたわけではない。 「ねえ、蓮」 沙羅が静かに呼ぶ。 「もし私が、本当に家に逆らったら、あなたは困る?」 蓮は少し考え、夜空を見上げた。答えは簡単ではなかった。仕事を失うかもしれない。関係が壊れるかもしれない。彼女の秘密に、自分も巻き込まれるだろう。だが、それでも。 「困ります。でも、逃げません」 沙羅はその答えを、まるで大切な合図のように受け取った。彼女の瞳に、初めて本当の弱さと、同じくらいの本当の希望が並んでいる。 「なら、次は私も逃げないわ」 その言葉は宣言というより、覚悟だった。二人の距離は、秘密を守るためのものから、現実を一緒に受け止めるためのものへ変わっていく。だがそのぶん、越えるべき壁は高くなった。沙羅は蓮にだけ、ほんの少しだけ肩を預ける。まだ誰にも見せない、その頼りなさごと抱えたまま、彼女はまっすぐ前を見ていた。
秘密を預かる距離
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