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時空を巡る桃の守り手

小説ID: cmnmvx98m000001p0d0g5b5wd

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最後の扉は、光でできているようでいて、触れれば冷たい木肌の感触がした。老人はその前に立ち、しばらく動かなかった。扉の向こうにあるものを、彼はようやく知っていた。桃太郎の痕跡だと思って追いかけてきたものは、失われた誰かの足跡ではない。未来へ手渡すために折りたたまれた、幾重もの記録と手紙だった。 扉の隙間から、紙の擦れる音が細く漏れてくる。老人が木刀の先でそっと押すと、内側には棚が並び、そこに無数の巻紙や箱が収められていた。どれも古びているのに、封の下からはまだ新しい息づかいが感じられる。表紙には同じ文句が何度も記されていた。次の世代へ。次の子へ。次の明日へ。 老人は一通を開いた。そこには、ある時代の少女が書いた手紙があった。桃太郎を見たことはない。でも、祖母から聞いた話で勇気をもらった。自分も誰かを怖がらせない人になりたい。たったそれだけの言葉が、丁寧な字で並んでいる。別の箱には、戦のあと村に残された記録があり、また別の紙束には、病床の少年が書いた短い礼があった。知らない誰かの優しさが、見知らぬ誰かを生かした。その連鎖が、ここに集められている。 老人は膝をついた。桃太郎を探していたはずなのに、目の前にあるのは桃太郎が残した輪郭ではなく、桃太郎を必要とした人々の声だった。その一つ一つが、次の誰かの背中を押すために置かれている。英雄の姿が消えても、物語は途切れていない。むしろ、名を借りなくても誰かが優しくなれるように、静かに形を変えていた。 そのとき、背後で足音がした。振り向くと、語り部の若者が木箱を抱えて立っている。さらにその横には、近未来の案内灯のような淡い光が揺れ、古い村で話をくれた女の面影も、若い自分の眼差しも重なって見えた。誰もがここへ来る道を知っていたわけではない。それでも、物語を渡す役目だけは不思議と同じだった。 老人は立ち上がり、開いた扉を見上げた。ここは終点ではない。預かったものを並べ、受け取る手を待つ場所だ。桃太郎は見つからなかった。だが、誰かが次の世代へ物語を渡すという約束だけは、確かにここにあった。 老人は巻紙を胸に抱えた。すると扉の奥から、まだ幼い声がひとつ聞こえた。読みたい、という小さな声だった。老人は微笑み、その声へ手を伸ばす。桃太郎の代わりを探す旅は終わる。だが、物語を渡す旅は、いま始まったばかりだった。