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時空を巡る桃の守り手

小説ID: cmnmvx98m000001p0d0g5b5wd

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語り部が集めた証言を、老人は焚き火の前で一つずつ並べた。潮に濡れた紙片、石碑に刻まれた欠けた文字、近未来の記録庫で見た映像、どれも少しずつ違うのに、中心にある気配だけは同じだった。桃太郎は一人の少年ではない。鬼を退ける剣でも、誰かを支える手でも、明日を諦めないための名でもあった。 老人は黙って聞き入った。自分が追いかけていたのは、失われた顔ではなく、何度も人の中で生まれ直す灯だったのだ。ならば答えは、最初からひとつではない。特定の誰かを見つけることに固執すればするほど、証言の重なりは崩れていく。けれど、それぞれの声を守るなら、桃太郎は消えない。 語り部は木箱から新しい紙束を取り出した。そこには老若男女の手で書かれた記憶が詰まっていた。子どもの頃に聞いた昔話、怪我をした日にかけられた励まし、見知らぬ誰かが差し出した桃の飴、鬼のような不安に怯えた夜に隣から聞こえた大丈夫という声。老人は一枚ずつ受け取り、指先でそっと撫でた。どの文章も未完成だったが、だからこそ次へ渡せる。 そのとき、裂け目の中心で風が鳴った。老人は振り返る。そこにあったのは桃太郎の姿ではなく、証言を運び続けた人々の輪郭だった。彼らは誰も名乗らない。ただ、それぞれの手に灯る小さな桃色の光だけが、静かに揺れている。老人はようやく理解した。探すべきものは一人の正解ではない。守るべきは、たくさんの声がつくる伝承そのものだ。 彼は木刀を地に立て、深く息を吐いた。そして語り部に向かってうなずく。これからは自分が、集めた声を失わせない番になる。桃太郎を語る者たちの言葉を預かり、欠けたままでも伝わるよう、次の時代へ運ぶ。その決意が胸に落ちた瞬間、老人の中で何かが静かに定まった。 空の裂け目は、もう獣の口のようには見えなかった。むしろ、開いた本のページに近かった。老人はその白さを見上げ、次の誰かがめくる余白を思った。桃太郎は見つからなかった。だが、見つからないまま受け継がれることこそが、この物語の形なのだ。老人は焚き火の火に手をかざし、証言の束を胸に抱えたまま、静かに立ち上がった。