老人が扉を押し開けると、そこには記録の終わりではなく、はじまりを待つ広間があった。天井は見えず、四方の棚には、村で書かれた手紙も、海辺で拾った紙片も、未来の都市で複製された映像板も、時代の違う証が同じ呼吸で眠っている。広間の中央には、桃の木で編まれた円卓があり、その上に一冊の白紙の帳面が置かれていた。誰の名もない。ただ、次に語る者のために空けられた余白だけが、静かに光っていた。 老人は近づき、そっと帳面を開いた。すると最初の頁には、すでにいくつもの筆跡が重なっていた。転んだ子を起こした日のこと。怖がる誰かに笑ってみせた日のこと。名を知らぬまま助けられた日のこと。どれも桃太郎の話であり、同時に桃太郎の話ではない。けれど、そのどちらでもあることこそが、探し続けてきた答えだった。不在は穴ではなかった。受け渡しを生むための、誰もが入れ替わり立ち替わり立てる場所だったのだ。 背後で、語り部の若者が木箱を卓へ置いた。案内灯の淡い光が帳面の頁を照らし、古い村の女の声が遠くで微かに笑った気がした。やがて、見知らぬ子どもたちが広間の入口に集まりはじめる。誰に呼ばれたわけでもないのに、物語の匂いを感じ取ったような顔だった。老人は頷き、木刀を卓の脇に立てかけた。 「これは、続きを書くための本だ」 そう告げると、子どもたちの目が一斉に輝いた。ひとりが最初の文字をなぞり、別の子がその横に丸い桃を描く。語り部が昔話の始まりを口にし、案内灯が次の頁をめくる。老人はその光景を見つめながら、桃太郎を探していた自分が、いつのまにか桃太郎を受け継ぐ者たちに囲まれていることを知った。 ようやく理解したのだ。守るべきものは消えた英雄ではなく、英雄を必要としなくても互いを支え合える未来だった。だからこそ、ここで終わる。見つからなかったことが敗北ではない。見つからないまま、人々の手の中で生き続けることが、ほんとうの継承なのだ。 老人は白紙の帳面に最後の一行を書いた。桃太郎は帰らない。だが、物語は帰る。書き終えた瞬間、彼の中で長い旅の重みがすっとほどけた。外へ出ると、時空の裂け目はもう傷ではなく、朝へつながる細い道に見えた。老人は振り返らず、広間に残る守り手たちへ安心して未来を託した。彼自身もまた、その輪の一部として静かに歩み去っていく。
時空を巡る桃の守り手
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桃から生まれたおじいさんが桃太郎を求めて時空をさまよう冒険物語
