裂け目の奥は、鏡を貼り合わせたような時代だった。床も壁も境目が曖昧で、踏み出すたびに別の景色が足元へ滲む。桃の花が舞う古い庭、蛍光灯の白い廊下、波に洗われる桟橋、それらが一息ごとに入れ替わり、老人の影だけが遅れてついてきた。 やがて彼は、自分と瓜二つの若い男と向き合った。いや、向き合ったというより、かつての自分がそこに立っていた。肩はまだ硬く、目には迷いがあり、手には磨き込まれた木刀が握られている。若い自分は老人を見て眉をひそめたが、恐れより先に、どこか懐かしむような顔をした。 「ここまで来たのか」 声まで同じだった。老人は喉の奥が詰まるのを感じた。若い自分は、裂け目の中心を背にして立っていた。その背後には、桃太郎を連れていくべきだったはずの道が、霧のように消えている。 「お前は誰だ」 問いは鋭かったが、老人は不思議と傷つかなかった。目の前の若い男を見ているうちに、忘れていた一節が胸に戻ってきたからだ。桃から生まれた少年を守れと、まだ名も定まらぬ頃の自分が誓った夜。鬼を倒すだけでは終わらせない、誰かが明日を信じられるように見届ける、と。 その約束は、桃太郎を探すことそのものではなかった。桃太郎がいなくなったとき、人々の記憶から希望まで消えぬように、道を選び続けることだった。彼は英雄の従者ではなく、約束を守る番人としてここに置かれていたのだ。 若い自分が、ふと木刀を下げた。 「俺は、ここで待っていたのか」 老人はうなずいた。待つためではない。失われるたびに拾い直すためだ。桃太郎が一人である必要はない。だが、最初の約束は消してはいけない。時代が変わり、名が変わっても、誰かが困っているなら手を差し伸べる。その始まりを、ふたりは同時に思い出した。 すると鏡の床に、ひびのような光が走った。中心から現れたのは桃太郎の姿ではなかった。幼い子ども、髪を結った娘、荷を背負った老人、傷だらけの青年。見知らぬ顔が次々と立ち上がり、それぞれの手に小さな桃の灯を持っていた。若い自分は息をのんだ。 「これが、桃太郎か」 老人は答えなかった。だが胸の奥で、確かにそうだと思った。約束は一人の形をやめ、受け継ぐ者たちの輪になっていた。鏡の中の若い自分が、静かに笑った。老人もまた笑おうとして、そこで初めて、自分の顔がもう若い男と重なっていることに気づいた。
時空を巡る桃の守り手
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