兄が資料を持ったまま黙り込むと、編集室の空気はさらに重くなった。遥は腕を抱くようにして立ち、強がる癖を必死に押し殺している。俺は彼女の横顔を見ながら、昨夜から引っかかっていた違和感を思い出していた。映像の切れ目、連絡の偏り、買い出しの順番。全部、ただ忙しいだけでは説明がつかない。 机に残ったメモを広げる。表には出てこない細かな数字を拾い、時間の流れを組み直す。すると、一つだけ不自然な空白が浮かび上がった。遥が最も苦しくなるはずの時間に、誰かの予定がきれいに抜けている。守るべき対象を隠すために、無理を無理で塗りつぶした跡だ。 「ここ、ずれてます」 俺が差したのは、連絡の時刻ではなく、休むはずだった間だった。兄が目を上げる。 「何が言いたい」 「遥さんは、やるべきことを減らしていません。増やしたまま、倒れないように並べ替えているだけです」 兄の表情が硬くなる。遥は何か言おうとして、口を閉じた。俺は続ける。急ぎの差し替え、買い物、連絡、送迎。どれも単独なら些細だが、同時に抱えるには重すぎる。しかも、彼女は誰にも助けを求めず、足りない部分を自分の睡眠と食事で埋めていた。 「編集って、切るだけじゃないんです。どこを残すかで、全体の意味が変わる。今の遥さんも同じです。残すべき負担と、切るべき無理を分けないと、全部崩れます」 兄は黙ったまま、手の中の紙を握りしめた。その沈黙は拒絶ではなく、気づいてしまった人間の重さだった。 そのとき、廊下の奥から慌ただしい足音が近づいてきた。関係者だろうか、誰かが声を上げる。遥の顔がさっと青くなる。兄も振り向いた。 「まずい、資料の本番データが」 俺は言葉を待たず、パソコンを開いた。さっきまで見ていた映像の中で、視線が一度だけ外れていた箇所がある。そこには、本来映るはずのない通知音の反射が小さく残っていた。画面の端、背景、音の重なり。派手な場面ではなく、誰も気にしない隅に、問題の本体が潜んでいる。 俺は一気に書き出し、不要な部分を削り、隠れていた通知の発信元を特定した。遥が抱えていた負担の理由が、ようやく輪郭を持つ。誰かに渡すべき情報が、曖昧なまま扱われていたのだ。気づかなければ、彼女一人が責められる形になる。 「これなら、間に合う」 誰に言ったのか自分でもわからない。ただ、作業は止まらなかった。兄は俺の手元を見てから、遥へ視線を移した。そこにあったのは疑いだけじゃない。今さら理解した悔しさと、守り方を間違えていたと知った表情だった。 遥は小さく息を吐いた。 「ごめん、兄さん」 「謝るな」 兄の声は掠れていた。俺は画面から目を離さないまま、最後の調整を終える。重く絡まっていた糸が、一本ずつ解けていく。何も言わずに支えるしかなかった日々は、ようやく形になり始めていた。
幼なじみの相談役
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