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幼なじみの相談役

小説ID: cmo5wpucx000001s2a8yjyb3e

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遥はその日、朝からずっと機嫌が悪かった。 「ちょっと、そこ違う。もう少し早く切って」 言い方は鋭いのに、視線はどこか落ち着かない。俺が編集タイムラインを調整すると、彼女は腕を組んだまま画面をのぞき込んだ。頬のこわばりと、指先の力の入り方で、苛立ちの正体が怒りではないとわかる。焦りだ。しかも、誰かに追われている人間の焦りに近い。 「これでいいだろ」 「よくない。そういうの、ちゃんとして」 きつい言葉だったが、責めたいわけではないのも伝わった。遥は昔から、本当に頼りたいときほど素直になれない。子どもの頃、転んだ膝を見せたくなくて泣きながら平気だと言った顔を思い出す。今も同じだ。助けが欲しいのに、助けられること自体に腹を立てている。 俺はため息ひとつ分だけ間を置いて、もう一度調整した。 「こうか」 「……まあ、いい」 いい、と言いながら、遥の肩は少しだけ下がった。説教を求めているんじゃない。正論を並べられたいんでもない。ただ、崩れそうな足場の横に、黙って立っていてほしいだけなんだろう。そう気づいた瞬間、胸の奥に妙な熱が残った。 昼過ぎ、買い出しの帰りに雨が降り出した。軒先で立ち止まると、遥は濡れた前髪を乱暴に払った。 「傘持ってないの、ほんと使えない」 「俺まで責めるのか」 「責めてない。事実」 憎まれ口のくせに、彼女は自分の傘を少し俺のほうへ傾けた。肩が触れそうで触れない距離が、妙に気になる。昔はもっと無防備に並んで歩けたのに、今はその少しの隙間に、言えないことがぎゅっと詰まっている。 商店街を抜ける途中、遥はふいに足を止めた。通りの向こうに見覚えのある車が停まっていたからだろう。彼女の表情から一瞬だけ色が消える。 「見なかったことにして」 「誰だ」 「いいから」 それだけ言って、遥は俺の袖をつかんだ。強い手つきなのに、指先はかすかに震えていた。無理に説明させるより、まず安心させるほうが先だと、そのときはっきりわかった。彼女が欲しいのは追及じゃない。安全だ。 俺は車の存在を確かめるように一度だけ視線をやり、それから何も言わずに歩き出した。遥は数歩遅れてついてくる。やがて、何事もなかったように隣に並んだ。 「……さっきの、忘れて」 「忘れない」 「なんで」 「お前が今、そう言ったからだ」 遥はむっとした顔をしたが、次の瞬間、ほんの少しだけ笑った。きつい言葉の裏に、安心したい気持ちが透ける。その不器用さが、たまらなく昔のままだった。 夕方、編集室に戻ると、遥はいつもより長く椅子に座っていた。画面の明るさを確認するだけの作業なのに、何度も同じところで止まる。俺が黙って完成版を出すと、彼女は小さく息をついた。 「……ありがと」 それはほとんど聞こえないほどだったが、俺には十分だった。突き放すような言い方の下に、頼りたい気持ちがずっと隠れていたのだとわかる。昔から変わらない距離感のまま、でも今は少しだけ違う。触れれば崩れそうなのに、離れれば余計に不安になる。 遥は画面から目を離さず、ぼそりと言った。 「変なところ、見つけるのだけは得意なんだから」 「それが仕事だからな」 「そういうところ。ほんと、ずるい」 文句みたいな声だったのに、頬は少しだけ緩んでいた。俺はそれを見て、言葉にできないものが二人の間で静かに形を変えていくのを感じた。守るとか、支えるとか、そういう単純な話では終わらない。雨上がりの窓に残る曇りのように、消えきらない気配が胸に残る。 その夜、帰り際の遥は、振り返ってから小さく言った。 「明日も、いる?」 俺は少しだけ間を置いてうなずいた。 「いる」 それだけで十分だったらしい。遥は今度こそきつい顔をやめて、安堵に似た表情で背を向けた。遠ざかる足音を聞きながら、俺は気づいた。彼女が本当に求めていたのは、正しさではなく、隣にいてもいいという確信だったのだと。